今後の方針

http://moepic.com/news.html#175
まだ正式にアイテム課金が始まらない限り何ともいえませんが、ある程度情報が出てきました。


染色にせよ装備の充実にせよ、方向性としては望ましいと思います。
ただ、一揃いのセットでの装備の充実ではなく組み合わせを意識して欲しいですね。
気のせいか、鯖も軽くなった気がします。


とはいえ、やはり気になるのはシステム面ですね。
以前から実装予定だった染色が導入されるということは、既存の、すでに開発に着手されている(らしい)仕様については実装を期待してもいいかもしれません。盗みとか。


家ageや騎乗は微妙ですが。。。

Planet Side

MoEもぼちぼちと動きを見せ始めていますが、
http://moepic.com/news.html#173
まあ言ったように、MoEは未完成な部分が多いので、今後の展開がはっきりしない限りはあまりやる気になれません。


というわけで最近はまってるのがPlanet Sideです。
久々に「やべ!もう朝かよ!」という懐かしい体験をさせてもらいました。


このゲームを知ったのは
http://home.att.ne.jp/surf/mirage/
という有名なサイトで紹介されていたのがきっかけです。面白くかつ的確な紹介と、素晴らしいフラッシュがあるので是非見てください。


MMOFPSというちょっと変わったジャンルですが、MMOSLGたる「銀河英雄伝説Ⅶ」をやってた身としましては、珍しさも有りますが懐かしさも感じました。
「あー国のために戦ってるなー」というか。


簡単に紹介すると、未来の世界での宇宙戦争が舞台で、三つの相争う国のどれかに所属して一兵士として戦うわけです。
まず世界観がいいですねー。鬱蒼と茂る原生林のなかに近未来的な兵器や建築物という取り合わせがいい感じです。


システムとしては、とにかく練りこまれているというか、すごく良く出来ていると思います。
最初は戦闘メインで銃撃をもっぱらやってたんですが、やっぱベテランの人には勝てないというか、殺されまくりだったんですね。
そこで工作兵とかハッカー、輸送をやってみたらこれがはまるはまる。


重要な敵の拠点(特にタワー)に隠れながら近づき、こっそりとハックに成功したときにはマジ脳汁が出ます。


でも最近のお気に入りは補給です。
PlanetSideは、もっぱら各惑星にある基地を奪い合うんですが、この基地を占領するにはいくつかやり方があります。
一つは上であげたように敵の中枢部にあるControl Terminalをハックして、その状態を15分間維持すること。
二つ目は、これは特殊ですが、Control Terminalをハックしたときに出現するLLUを奪い、味方の基地にまで輸送すること。
そして三つ目が、これは正確には占領ではないんですが、相手の基地のエネルギーが枯渇すること。


基地の攻防はしばしば膠着状態に近くなります。
そういう膠着状態がただ続くだけだと変化が無いわけで、だんだん疲れてきますが、エネルギーという要素があることが、持久戦に意味があるようになっています。
つまり施設を壊しまくれば、その修復のために基地のエネルギーが使われるわけで、それが積み重なっていけば大きな成果に繋がる。つまりちゃんと成果として残るわけです。こういう風に、細かいところで「無意味な行動」がでないように配慮しているところがPlanetSideのいい点だと思います。


ちなみに、銀英ⅦでもMoEのwarageでも痛感したことは、「勝ち目が無い限り戦闘しても無駄」という事態が出てきちゃうという問題です。
例えば、大人数で攻めない限り無駄。動いてもどうせ負けるから無駄。多少相手にダメージを与えても、結局それは残らない。戦局に影響しない。それどころか消耗した分だけ無駄になる。だから人が集まるまで動かない。みんながそう思うから集まらない。
この悪循環・・・。


さて話を戻して、では減ったエネルギーはどうやっても戻せないのかというとそうではありません。ANTという小型トラックでその惑星にあるワープポイントに貯まっているエネルギーを溜め込んで、基地に運んできてサイロで補給してやればいいわけです。
そしてこの地味な作業が楽しいんですねー。



あの町からこの町までそいつを届けにいくのがね
このおいらの仕事といえば仕事なんだけど〜♪
長渕剛『俺らの旅はハイウェイ』より。古っ!)


これはトラックを運転しながらよそ見しているところです。
遠くに見えるのは、waypointsといって、自分の指定した場所を衛星から照らしてくれるものです。目印ですね。


ただ、運転を一人称でやってると酔いますけどね・・・。


いずれにしても、なんかね、このゲームには「生活感」があるんですよ。
MMORPGで釣りとか生産とかで「生活感」を歌ってるのが多いですが、妙な話、MMOFPSの「PlaneSide」のほうが「生活感」をかもし出してます。


こんな感じで、しばらくはPlanetSide漬けですね。

ゴフマン

まだうまくまとめることができないんですが、いつまでも先延ばしにはできないので、一応試論的にゴフマンの「ゲームの面白さ」をまとめてみます。


「ゲームの面白さ」を論じることによってゴフマンが明らかにしようと試みているのは、彼が「出会い」と呼ぶ社会関係、situated activity systemのメカニズムです。
まあ、別に難しく考えることはなくて、「出会い」というのは対面的な社会関係のことだと言って差し支えありません。


はじめに彼の結論を挙げておきます。抽象的でわかりづらいですが。

「出会いのダイナミックスは、より広い世界から出会いを選択的に切り離す環境―維持のメカニズムの機能と結び付けられている」

これが何でゲームと関係あるのかと思われるかもしれませんが、それはあとに見るとして、まずゴフマンによる成功するゲームの定義を見ておきましょう。
彼によれば、成功するゲームとは

初めに未定である結果を持っていて、その限界の中で外部の世界と関連した特性を発揮することを最高に可能にするようなゲーム

だとされます。以下このことを見ていきましょう。


まず一般にゲームの面白さは「不確定さ」から来るとされます。しかしゴフマンはそれだけでは不十分だといいます。

結果が未定であることは、実際に人はプレーそのものを見定めなければならないことになる。プレイヤーが交替したり組み合わされたりする動きによって造られながら発展していく線が参加者の注目を要求できる唯一のものとなる。それによってプレイヤーはその場のリアリティを構成し、彼らをゲームに夢中にさせるゲームの力を容易に作ることが出来る。

不確定さが重要なのは、それによって
①プレイヤー全員が一つの焦点を持つようになり
②そうした一つの焦点のなかで各プレイヤーのプレーはひとつの「線」いわば「共通の歴史」を積み重ねていく。
③その歴史に関与することによって、人は、その歴史に寄与したプレイヤー全員といわば同じリアリティを共有することになる


重要なのは、「プレイヤー全員が共有するリアリティの歴史が、各人の自発的関与に応じて不確定に変化しうる」ということです。
ここに、ゴフマンの考えるゲームの面白さの一つの核心があります。つまり、私以外の人びともまた関与している一つの現実が、私の貢献に応じて変わりうる、ということです。


しかしそれだけではありません。
しばしばゲームの面白さは「不確定さ」以外に「外部での特性が出会いの中で公式に表現されること」だともされています。
しかしゴフマンはこれに対しては「しかし、しばしば上手なプレイヤーがあらゆる能力を発揮しながら飽きてしまうことがある」と指摘します。


といっても、外部の特性を完全に否定するわけではありません。
もしも、ゲームの外での自分の特性や現実と完全に絶縁されてしまえば、人はそもそもゲームをやりたいとは思わないし、あまり本気にもならないでしょう。


例えばポーカーなどの掛け金の額について「賭け金の適正な額について人々が考えるとき、彼らは金に関する興味がゲームに入り込むことが出来る背後の一種のスクリーンを探しているものである」とゴフマンは述べます。
つまり、あまりに賭け金が低いとゲームに関心を持てず、あまりに高いとゲームを「真面目に」受け取ってしまうわけです。


ここで問題になっているのは、それが遊びで済む程度かどうか、というわけではない、とゴフマンは述べます。

個人が、それ自体としての世界であるその出会いに夢中になることが出来るように、彼の関心にかかわる外的な牽引力を選択的にチェックすることができるかどうかという問題


ここに関わるのが「変形ルール」と「具現化されるリソース」の問題です。


具現化されるリソース、というのは、ややこしい言い方ですが、例えば将棋の駒を考えてください。将棋というゲームを離れれば、駒は単なる木の塊ですが、それはゲームの内部では一定の役割と意味を与えられています。
だからその役割と意味を満たす限りで、それは別に木でなくても良い、例えば代用品として消しゴムを金の代わりに使うといったことも可能です。


同様に、ポーカーの際にお金の変わりにチップを使うといったことも同じです。
要するに、そのゲームのなかで、ゲームの進行に影響を与えるものとして意味づけられたもの、これが具現化されるリソースです。他にも、具現化されるリソースには役割も含まれます。


さて、ここで生じるのが「具現化されるリソースが、それぞれの焦点の定まった集まりの中で参加者の間でどう配分されるかという問題」です。
まずこの配分の問題に際しては、参加者の特性が配分を決める手段として用いなければならないでしょう。
ここで、ゲーム外の世界における特性はどうしてもゲーム内に入り込んでしまいます。

「外部に具現化されている事柄は、ほとんどの出会いにおいてある種の公式の位置と重きが与えられ、その場で公認された要素としてあらわれる」

「篩と同じで出会いの障壁は、外部に基礎を置く事柄を出会いの中に少しは侵入させてしまう」

しかし、例えば晩餐会での席順のように、ある程度外部の要因(地位の高さ、序列など)によって影響を受けるとしても、しかしそれがどのようにその出会い(晩餐会)のなかで配分されるか、については、一意的に決まるわけではありません。

ほとんどの場合、出会いの中で完全に具現化されるリソースは、その特性をより広い世界で分配させているパターンと完全に照応するパターンで配置することはできない。

この場合で言えば、テーブルの二番目の名誉ある席は、その人の社会的地位が来賓とどんなに近かろうと遠かろうと関係なく、第二番目の地位に行くことになるわけです。

「外部的に具現されている諸属性にたいする障壁は、堅い壁というよりも、むしろスクリーンのようなものであり、このスクリーンは、それを通過するものを単に選択するだけでなく、変形させたり修正したりする」(23)

このスクリーンが、「変形ルール」と呼ばれているものです。
単なる木の塊や消しゴムを将棋の駒に、紙切れをチップに、席の右左を地位の高い−低いに、それぞれ意味を与え、それによって、その出会い以外の時と場合とは異なる意味をその出会いの内部で与えます。
この「変形ルール」は「無関連のルール」とも関わっています。無関連のルールというのは、出会いの外部の現実が一端は無関連なものとされるということです。


問題は、ではどのように変形ルールを定めればいいのか、なわけです。
一言で言えばそれは、外部の特性をある程度持ち込むことを可能にしつつ、しかしゲーム内の結果が完全に外部の特性によって左右されてしまうのではないようにすること、ということになります。


これはどういうことなのか、ということですが、ここでまず、ゲームに限らず出会い一般において、変形ルールに対して人が気楽さを持つときと、気まずさを持つときがあるとゴフマンは言います。
まず気まずさを感じる場合とは、「自身の定義と状況の定義が一致しない」場合であると言います。そこではその人は変形ルールによって関連がない、非現実的と宣言された事柄に自発的に没頭していたりしています。


例えば、家庭教師をしている時に勉強をしようとしない生徒に対して、自分でも嘘くさいと思いながらも「社会に出るときに困るから勉強しなさい」などと叱る場合を考えてみましょう。
この「教育」という出会いのなかでは、一定の変形ルールによって自分とその子は「教師」と「生徒」という地位を与えられており、そして「勉強すること」がどういうことなのかが意味づけられているわけですが、ここではそうした意味づけと自分自身の「勉強すること」についての定義が一致しないわけで、このような場合にはやってても面白くないし気まずい感じを受けるでしょう。


では気楽さを感じる場合とはどういう場合かというと、ゴフマンによれば
「その変形ルールを維持することに彼がかかわっていると感じているとき」
だと言います。つまり、
①私に自発的な関与の余地があり
②そうした私の自発的関与によってはじめて変形ルールが維持・定義される
ということです。


こうして、ゲームの面白さがはっきりと定義されます。それはつまり

変形ルールを自発的に維持することが出来るときに起きる

ということです。


そのためには
①変形ルールと一致する自発的関与の配分を作り出す
あるいは
②変形ルールのほうを自発的関与の分配と可能性に適合するように修正する
※ハンディをつけること、熟練者の制限、掛け金を制限することなど。
のやり方がありますが、いずれにせよ以下の条件が満たされねばなりません。
まとめもかねて整理します。


①全プレイヤーに自発性を発揮する余地があること。そのように資源を配分したり、役割を規定するルールを定めること。この場合で言えば、ゲームの進行に全員が何らかの自発的に貢献を行う余地があるようにすること。
②なおかつ、そのゲームに人びとが関与する気が起きないほどには、外部の特性(プレイヤーの能力、社会上の地位、職業、所得など)と断絶していないこと。
③①②を満たすような変形ルールの結果、ゲームの帰結が特定の誰かによって左右されたり、外部要因に完全に左右されるということがなくなり、全員の自発的な貢献に応じて不確定に揺れ動くことになる。
④この全員の関与の間で不確定に揺れ動く帰結が描きだす「線」、つまりゲームの歴史が、プレイヤー全員にとってのリアリティを生み出すことになる。
⑤この「ゲームの中で生み出されたリアリティの歴史」に自発的に関与することによって、プレイヤーは全員に共有されたリアリティに影響を与えることができる。同時に、そのように自発的に関与することによって、各人はそのゲームのリアリティにいわば自分をしっかりと結び付けていくことになる。
⑤こうして、ゲームの成り行きによって生み出されたリアリティの維持・創出に人が「夢中になれる」、つまり、そうしたリアリティが彼の自発的関与によって変化するというだけでなく、そうした自発的関与によって彼がいわば自己をその世界のリアリティと結び付けていき、そうした歴史の不確定な成り行きに自己を(ある程度)一体化させることができたとき、「面白さ」が感じられる


ということになります。


長いですし、あまりうまくまとまってませんが、とりあえず以上にしておきます。今後ぼちぼち手直ししていってもっとわかりやすくしたいと思います。
また、このことから僕が言いたいこと、考えたいことがどういうことなのかについても、またいずれということで。

今日もノーパッチ

んー、まああんまり期待してなかったからいいとしても、何かメンテ明けるごとにびみょーに人が減っていってる気が・・・。
新規も全然入ってきてない気がするんだけどどうなんだろ?
未完成状態で先行き見えないまま放置なら、あんまやる気しないので早いとこ今後の方針公表して欲しいですね。


まあそれとは別に、何か別なMMORPGを模索中。
んー、いったんUOに復帰しようかな。

UOを思い出しつつ

もうUOやめてから大分断つんですが、それでも「むらさきうに」さんのサイトはずっと更新を楽しみにしています。
http://www.murasakiuni.com/


で、また最初からずっと読み直してつくづく思ったんですが、
なんつーか、ゲーム作りに関する発想が、ホント日本人と欧米人って違うんだなーと思いました。


ずっと前に友人たちと、日本人の「ゴジラ」の考え方とハリウッドでの「ゴジラ」の考え方の違いについてあれこれ話していて、ある仮説に至りついたんですが、たぶんそのことと関係があると思います。
つまり、日本人はどちらかというと「絵」の部分から入るんですよ。
絵と言っても文字通りの視覚画像ではなくて、「絵」になるシーンというか、断片というか。


ゴジラで言えば
「巨大怪獣が海から出てきて都会を襲って口から火を吐いてビルを壊したらすげくね?」「すげー!」
みたいな、一番ビビッとくるイメージが出発点であり目標になる。
で、それが「絵」になるように他の部分や細部が整えられていく。
でも、重要なのはその「絵」なわけだから、支障が無い限り細部はこだわらない。


それに対して、欧米人はむしろ、
「巨大怪獣って、歩く場合にはどんな骨格してんだろ?」
とか、そんな風に考えると思うんですよ。
「こんなでかいのなら消費エネルギーもすごいだろうな。となれば、エサ場が当然必要だから生息地はこれこれこういうところで、近くにはあれが無いといけないだろうし・・・」
みたいに、とにかくあれがあったらこれが必要で、これがあるならそれがこうなって・・・みたいにひとつの体系を作り上げる。
その体系ができてはじめて、それを信じよう・作ろうという気になる、というか。


だから友人たちとの結論では、「ガメラ」は欧米人には決して納得出来ないだろうな、ということでした。
日本人なら
「巨大亀が手足を引っ込めたらその穴からジェットが吹き出してくるくる回って飛んでいったらすげくね?」「そりゃすげー!」
みたいに、重要なのはいわばその「すごさ」「絵になるかどうか」なのに対して、欧米人は
「手足を引っ込めたらジェットが吹き出るのはいいとしても、その原理はどうなっているんだ?」
とか気になって気になってしょうがないと思うんですよ。
それについて納得行く説明がなされないかぎり、その話に入り込めない。


つまり、日本人は「ぽーん」と別世界に入り込めちゃうんですね。
それが「絵」になっていれば、「それはそういう世界なんだねー」みたいに。


でも欧米人にとっては、仮にそれがファンタジー世界であっても、その世界は現実世界と地続きなんですよ。
だから、何か架空世界を作る場合でも、今いる現実とその世界がどういう点で異なるのかについてしっかりと決めておかないと、その世界に信憑性をもてないし、うまく自己没入できない。


で、特にMMORPGでそういう思考の違いが顕著に出ちゃっているような気がしなくもないです。
ワールドシミュレータータイプのMMORPGでは、ホントあちらさんには絶対に勝てない気がするんですね。あの細部に至るまでの執着とこだわりを見ると。


まあそれはUO見て思ってるだけなのかもしれないですが。。。


とまあそんなくだらないことを考えてみました。

最近の出来事

課金情報どうなってるんでしょうね。
とりあえず最近起きたことをざっと。


ある日ふと夜のビスク中央をぶらぶら歩いてたら

えっ?空飛んでる?つか泳いでんのかな?

どうやってるんだろ・・・すごい楽しそうですねー。
こういう感じで浮遊スキルとかあったら・・・便利すぎるか。


で次は水泳上げをやってたら

水上に花が・・・バグなんですが、何か綺麗ですねー

で水中泳いでたら今度は海底に花が。
結構あるバグなのかな?何にせよ、深海の暗い風景と花が妙にマッチしててなんか和みました。


で、ある日のwarageにて。
ふとガードを見たら

何かちっちゃいのが。


ガードにも大小があるのかー。
殺しまくったらもっとちっちゃいのが出てきたりして。

大航海時代online

先日、大航海時代オンラインの復帰キャンペーンとかのメールが来て、久しぶりにちょっと顔を出したりしてたんですが、その有効期限が今日切れました。


大航海時代オンラインは、βから正式サービス開始後しばらく続けてたんですが、いつの間にかなんとなくやらなくなっちゃいました。


久しぶりに覗いて見ると、マップが拡大したこともあるんでしょうが、昔は人でごった返していたロンドンがめっきり人が少なくなったのに驚きました。
その後、リスボンまでぶらぶらしたあと、なんとなく気が乗らなくなってログオフしちゃってそれっきりになっちゃいました。


うーん、なんでなのかなあ、と自分でも不思議に思います。
ソロゲーの大航海時代1,2は、それはもう連日徹夜するくらい嵌まったゲームだったので、大航海時代オンラインはものすごく期待していました。
そしてβで直に触れて思ったのは、信長にせよ三国志にせよ太閤にせよ、いつもいつも新作を出すごとに期待を斜め上に裏切ってくれる光栄にしては(?)よくやっているなーというものでした。


ただグラフィックの綺麗さと軽さは驚嘆の一言なんですが、どうも地形に奥行きが無くて平板な印象は受けました。これは信長onlineでも感じたことなんですが・・・。


内容面では、大航海時代に嵌まったものとして、長い航海やルーチンワークは全然気になりませんでしたが、やれることの少なさが気になった記憶があります。
職業分けによって、特に軍人などは冒険がやりづらかったんですね。
こういう風に分けるなら、交流がしやすくなるためのシステムを配備するべきだったと思いますし、そうじゃないなら、下手に職業で分けない方がよかったのではないか、と感じました。(今はどうなっているかはわかりませんが)


冒険のやり方としても、やっぱりぶらっと立ち寄った陸地で何かを発見する、というのがよかったかなと思いますねー。まあ技術的に難しいんでしょうけど、やっぱ上陸はどこであってもできるようにして欲しかったかなと。
そういうわけで、商売や戦闘の合間にふと気が向いたときに冒険できる、という風にはなっていませんでしたし、そして冒険する場合にはその場所がすでに指定されていて、ちょっと拍子抜けな感じでした。


後は、これはある意味一番大きいと思うんですが、やっぱ世界全土が完成されていない状態だと、いまいちやる気が起きてこないですねー。
大航海時代でのモチベーションのひとつは、やはりまだ見ぬ世界の果てに辿り付く日を目指してというもの(特に日本ですね)ですから、それがまだ実装されていない段階だと、いまいちやる気が沸いてこない・・・。


まあ自分なりに分析すると上のような理由が大きいかなあ。
何にせよ、もうやらないぞ、とかいうつもりは全然ありません。やはり世界全土が実装されたら復活したくなると思います。
その日までは、当分お預けですかねえ・・・。いつの日になるかはわかりませんけど。